| 2001年12月16日(日) |
| 塔の岳、丹沢山 標高:1567m (神奈川県の山) |
 【山頂にて】 |
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【蛭・丹沢山をバックに】 |
 【山頂にて】 |
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・今年最後の山歩き収めにと富士山の展望を期待してこの山歩きを選んだ。
今回は表丹沢の作治小屋まで車で入り有料駐車場に車を預けて行者岳経由で塔の岳を目指すことにした。
駐車場の周りはキャンプサイトになっていて前夜からキャンプをした人と山用のテントでこれから登山を始める人達が起きだして
顔を洗ったり朝食の準備などで賑わっていた。
行者岳までは急坂が続くがそこから稜線歩きになり初冬の風がここちよく汗を乾かせてゆく。
新大日茶屋に差し掛かると小屋前に大きなオスの鹿がいて私達を見ても動こうとしない。
丹沢は鹿が多いと聞いていたがここまで人の世界に堂々と姿を表せているのには少々驚きだ。
"美味しいコーヒーあります"の看板と微かにその香りが外に漏れているのでキット中にお客さんが居るのだろう。
家内に一応目で確認するが要らないというので先を急ぐことにした。
木ノ又小屋の脇をぬけて最後の急坂を登りきると広大な塔の岳山頂に着き晴れ渡った青空の下新雪を纏った富士山の姿が
眼前に広がった。
今日は体調が良いのだろう、家内が丹沢山まで足を延ばそうと言い出したので軽食を口にして又歩き出した。
塔の岳北面には雪が残っていて氷状になっていたので慎重に下るがやがて歩きやすい稜線になる。
ここからは常に左手に富士山をお供にしての快適歩きのはずだが霜が解けた道は"丹沢田んぼ"(私が勝手に呼んでいる)化していて
歩きにくい。
木道がある所は良いとしてこの"田んぼ"を避ける為道の側面を歩くから更に裸地化が進むのだろう。
首都圏に近い人気のある山の宿命だと思うが酸性雨にやられた木々や鹿の食害など現代の山の課題を全て背負った山が
丹沢なのかも知れない。
そう言えば途中の小さなピークの陰にテントを張っている人が居たが確か丹沢山域にはテントサイトはなかったと思うが・・・。
丹沢山頂も本来広いのだろうが塔の岳程整備されていないので(良いことだと思う)標識と富士山をバックに写真を撮ってから
来た道を引き返すことにした。
今日は本来の目的の富士山を見ることが出来たのと同時に予定外の丹沢山まで快調に歩けので一年を締めくくる
山歩きとしては大満足の一日となった。
【余談・・・私の丹沢考】
実は私個人としては丹沢は古里の山なのだが苦手としている山なのだ。(笑い)
一番の理由は"蛭"が大嫌いなのに主峰が蛭ヶ岳(意味が違うのは知っているが・・・)といい本当に蛭が多い。
だから6月〜10月の期間は極力近づかないようにしている。
これは少年期に実際に丹沢の山道で見た無数の蛭がざわめく様に地面を覆っていた光景や知らぬ間に靴から脛に
這い上がり血を吸っていた何とも言い表せない気味悪さのトラウマだと思うが・・・・・。
二番目は同じような理由になるが太平洋に接している為湿気が多く夏は暑くてたまらないことだ。
これは植生には良いことで故に植物や動物を養える豊かな自然があったと理解はするのだが・・・・。
<同じ理由で南アルプスにも中々足が向かないのだろう。>
三番目が今日書いた"丹沢田んぼ"で靴もズボンの裾もドロドロになるので冬季は表丹沢から入る気がしない事だ。
<裏丹沢からは北斜面になるので雪が凍結して地表や登山道を覆い保護しているので入りやすいが。>
と言う訳で家から近い割りに歩く回数が少ない言い訳を書いておいた。(笑い)
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| 2001年12月8日(土) |
| 鳥の胸山 標高:1208m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【菜畑山方面を背景に】 |

【鳥の胸山をバックに】 |
・今年も12月になってしまった。
近郊の山々も紅葉は終わり木々は葉を落として冬の眠りに就き始めた。
よく利用する道志道に道の駅がありその背後に三角形の姿の良い山があるがそれが鳥の胸山で山梨百名山になっているという。
日の短いこの時期の日帰りハイクに丁度よいと行ってみることにした。
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| 2001年11月23日(金) |
| 一夜山 標高:1562m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【戸隠を背景に】 |

【山頂で昼寝】 |
・この時期の勤労感謝の日を山小屋の冬支度の日と決めて久しい。
車のタイヤをスノータイヤに変えて前夜山小屋に入ったが今日は快晴との予報なので戸隠連山の南端にある一夜山まで行って見ることにした。
鬼無里村を抜け細い道を西越開拓村跡地に入ってゆくと戸隠連山がその険しい岩稜を覗かせる。
景色は良い所だが冬の自然は厳しいだろう事は想像がつくこの地に開拓民として入った人達は大変苦労されたことだろう。
今でもその面影と朽ち掛けた家が数軒残っている横を通り過ぎるとT字路になり左に進むとゲート前に駐車場があった。
そこから見る一夜山の北面は砕石場のような無残な姿を晒している行く手を阻むように聳え立つ。
聞くところによるとその裏側にある奥裾花ダムを作る際にこの山を削って石を運んだそうだ。
奥裾花も私が学生時代に行った頃は奥深い原始の世界が残っていたと記憶するが今では観光地化しているとも聞いている。
ダムを造りその為の建設用道路を使って完成後観光地にするというのが一つのパターン化しているような気もする。
話は戻って、駐車場からはゲートを漕ぐリ山裾を左から巻くように車道が続き日陰に入ると雪が残った凍結路になって行く。
この車道はどこまで続くのかと思っていたらとうとう山頂直下まで続いていた。
ここから山頂まで500mとの標識があり後は100m毎に親切に案内してくれる。
潅木のヤット登山道らしくなった道を高度を上げる毎に変わる景色を楽しみながら山頂に立つとそこは祠や鳥居や碑が建つ
広場になっていた。(かなり広い)
先に来ていた親子連れと女性二人のグループが居ても居ないに等しい位広く景色を楽しみながらのんびり過ごせた。
北アルプスから頚城山塊、勿論戸隠連山と周りの山々を手に取るように眺められ時間の経過を忘れてしまった。
日陰には雪が残っている所もあったが枯れ草の原は乾いていてその上にシートを敷いて寝転んでいたら寝てしまったらしい。
何時の間にか私たち二人だけが取り残されたようだ。
陽は未だ高いが小屋の仕事もあるので下山することにする。
駐車場までは30分位か?(上り4〜50分位)歩く距離はそれ程ないがここまでがチョット距離があり買出しもあるので
帰途についた。
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| 2001年11月11日(日) |
| 菜畑山 標高:1283m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【少年?時代に戻って・・・】 |

【山頂の東屋で】 |
・信州の紅葉も終わり関東の低山が紅葉の季節を迎えている。
週末の天気を見て道志道の山梨百名山、菜畑山まで行って見ることにした。
道志道から地図を頼りにわき道に入ると豚舎に迷い込んでしまい戸惑う。
確かに菜畑山登山口と入り口に標識があったので広場に車を止めて歩き出すことにした。
消えかけたような林道跡を遡ると××
山頂には屋根のある東屋?があり先行のグループがお弁当を広げていたので少し先の北斜面に入ると落ち葉が
敷き詰められたような雑木林の広場があった。
これは気持ちが良い!木漏れ日の中で昼食を摂りのんびり青空に流れる雲をみていると突然家内が近くの斜めになった木に
登り始めた。
家内にはこういう所があって時々ビックリさせられる。
そう言えば信州の山小屋周辺の散歩道にもそういう場所を確保しているようだが首都圏のハイキング・コースだといろいろ言う人も
いるかもしれないが・・・・・自分たちの少年時代は良く木登りをした事を思い出す。
今の子供達が木登りをして遊んでいる姿をほとんど見なくなって久しい。
自然の中に入ったら木を傷つけない程度の遊びは大目に見ることも必要だろう。
道志道沿いの里山は紅葉の盛りで目を楽しませて貰えたが雪国の厳しい自然の中で育つ木々の鮮やかな紅葉に比べるとどこか
おっとりとした色合いに見えてしまうのは思い込みだろうか?
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| 2001年11月4日(日) |
| 虫倉山 標高:1378m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【綺麗な落ち葉の道】 |

【むしくら共和国って?】 |
・11月の文化の日も連休になる時は山小屋で過ごすことになる。
その年毎に違うが雪が来てしまう事もあれば紅葉が長持ちして楽しませてくれる年もあり自然相手なのだからわからない。
今年はまだ紅葉が残っていたので小川村の虫倉山まで出かけてみた。
途中の道は"日本昔話"に出てきそうな景色で私は好きな場所だがさすがに山の上は紅葉は終わり木々はほうきのように
葉を落とし冬の眠りに就こうとしていた。
私たちは不動滝コースをユックリ楽しみながら歩いたがそれでも1時間位で山頂にゆける。
山頂では残念ながら雲が湧いてしまい北アルプスのパノラマは楽しめなかったが登山道に落ちている紅葉や登山口にあった
燃えるようなモミジが印象的だった。 |
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| 2001年10月27日(土) |
| 国師ヶ岳 標高:2592m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【南アルプス方面を背景に】 |

【バックに富士山が・・・】 |
・この週末も天気が良い。
俗に言う秋晴れが週末と重なり家でジッとしていられないので関東周辺の標高のある山としてこの山を選んでみた。
奥秩父山塊に属し標高も2600mある山だが大弛峠まで林道が通じ車で入れるので標高差約200m、片道1時間の行程にその
便利さには逆に驚いてしまう。
峠の駐車場に車を止めようとしたら関係者用として半分位がロープを張られ止められないようになっていた。
私たちはギリギリスペースを確保出来たがこれから来る人は大変だろうナッと他人事ながら心配になる。
大弛小屋の横から登山道に入り進むと直ぐに夢の庭園との分岐に着く。
その名前に惹かれて経由して行くことにした。(勿論下調べで知ってはいたが天気も良く早めに眺望を楽しみたいからだが)
夢の庭園は岩が露出した所に低木が絡みついた南面が開けた場所で登って来た林道の蛇行する山々の彼方に南アルプスから
富士山まで見渡せる絶景の場所だった。
その岩の間の道を縫うように進み本道に合流すると歩き始めて1時間弱で山頂についてしまった。
さすがに物足りないのとこの天気が勿体無いので北奥千丈ヶ岳まで足を延ばして下山したが休息を入れても3時間弱の山歩きだった。
後から気がついたが関係者の駐車場と言うのは山の標識の設置でそれを運んで来る人達用の車の為だったようだ。
何時も見慣れている標識も実際人が運ぶ姿を見ると大変そうだった。
重たいし大きい(土に埋まる部分もあるし)スコップなどの道具もいるし・・・・何人かで交代交代担ぎ上げる姿に感謝感謝の気持ちで
道を譲った。
今回はかなり大掛かりなのか数が多いのか人数も資材も多かったような気がするけど最後にお祝の打ち上げの用意もあったのかな?
これらの人々の努力によって多くの登山者が道を間違えず又山頂で記念写真を撮って楽しむのだから大切にしましょう。 |
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| 2001年10月20日(土) |
| 雨飾山 標高:1963m (信州の山) |

【山頂にて】 |
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【荒菅沢の紅葉と】 |

【素敵なブナ林の中を行く】 |
・山小屋周辺は昔から10月20日前後と言われているのでなるべく時間を取って週末来るようにしている。
今年はチョット足を延ばして雨飾山まで行って見ることにした。
この山は例の百名山ブームで年々人出が増えて今では"秋飾山"と呼ばれる位混雑すると聞いていたが紅葉の盛りは先週だそうなので
少しは空いたかとわずかな期待を込めて出かけてみた。
お天気にも恵まれ少し早めに小屋を出て来たのに駐車場は既に満車状態で路上に縦列駐車するような状況になっていた。
我々は地の利があると油断した訳ではないがどうも前夜に着いて車内で仮眠を取って登る人が多いらしいとのことだ。(ビックリ)
雨飾キャンプ場から大海川沿いの木道歩きはミニ上高地的な景色で川の流れの中には岩魚の姿も確認できる。
小さな滝が左手に過ぎると川原から離れて登山道の取り付きに入ってゆく。
ここからしばらくのブナの林は美しく黄葉の盛りを迎えていた。
荒管沢に近づくと一旦川に向かって下る道になるが雨飾山の岩稜とフトン菱の岩肌が目に入ってくる。
紅葉の盛りは過ぎたとは言え中々の景色であり、それを楽しむかのように川原には多くの人が既に休んでいた。
ここから笹平まではヤセ尾根の急坂が続くが先を行く中高年の団体が道を塞ぎペースが落ちてくる。
笹平に入ると後ろに焼山がその堂々とした姿を表し前面には雨飾山の山頂部とその後ろに北アルプスの一部が顔を出している
風景の中に立つことになる。
金山との分岐地点がチョットした広場になっていて休息場になっていたので私たちも休もうかと場所を探すが先行の団体が占領して
場所が無いので少し金山方面へ道を進もうとしたら異臭とティシュの白い花があちこちに咲いていて撤退することにした。
そういえば片道約3時間のこの登山道にトイレは無いのにこの人出ではこうなってしまうのだろう。
ここからは笹原を分けるように平坦な道を左右に振られながら山頂下まで進み最後の急坂に取り付くと山頂はすぐだ。
山頂は小さな二つのピークを持っているがどちらも多くの人が休んでいて休む場所を探すのに一苦労したがどうにか足元がすくむ
ような場所で荷物を下ろすことが出来た。
天気には恵まれて日本海から周辺の山々全てが見渡せるが足元からアリの行列のようにマダマダ人が登って来るのが見えると
帰りを急ぎたくなる。
山頂下と笹平から荒管沢までのヤセ尾根では次から次えと上がってくる人人で下りるにも降りられずかなりの時間を費やした。
もうこうなると上り優先とばかりは言っていられない。
特に団体は始末が悪く何時までもだらだらと上がってきて待っている人がいるなどとの配慮が全く無い。
私たちはこれでも早出の方だったので下る人数も少なく常に劣勢になり山歩きで上りより下りの方が1.5倍も時間が掛かったのは
始めての体験だった。
雨飾山は確かに見る角度によりその姿を変化させ、渓流あり、渓谷あり岩稜あり笹原あり原生林ありの日本の山の特徴を全て
併せ持った箱庭のような山だがここまでの人気背景までは理解出来ない。(ヤハリ百名山ブームと言うことなのか・・・・。)
自分も行ったのだから他人様にどうのこうの言う立場にないが間違いなくこの山はキャパシティー・オーバーしているので
今後の荒廃が危惧される。
小屋からも近く北アルプス程厳しくないので手頃と言えば手頃だが秋のシーズンは近づかないことに決めた山行だった。
(周辺は普段は静かな所なのに・・・・)
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| 2001年10月10日(水) |
| 栂池自然園 標高:2003m (信州の山) |

【栂池ヒュッテ前にて】 |
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【見事な栂池の紅葉】 |

【ダテカンバの白い幹と紅葉】 |
・楽しみにしていた体育の日を連休にして山小屋まで来たが余り天気がハッキリしない。
山小屋周辺はまだ紅葉には早くどこかの山にと思ったがこの辺の2000m級の秋の山は天気が崩れるとそろそろ怖いので結局、
卒業したはずの栂池自然園に来てしまった。
自然園は紅葉の盛りを過ぎ晩秋の佇まいだがヤセ尾根付近の南面に一部鮮やかな紅葉が残っていた。
生憎と言うかヤハリと言うか北アルプスの峰々は雲の中で時折雲の切れ目から射す日差しに紅葉の色が微妙に変化してゆくのが
よくわかる。
混雑は目に見えているし例の紅葉祭りをしているので早々に引き上げ小屋周辺を散策してユックリした時間を楽しんだ。 |
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| 2001年9月29日(土) |
| 黒岳 標高:1793m (山梨県の山) |

【山頂にて】 |
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【木の葉の額に収まる富士山】 |

【山頂には秋の気配】 |
・都会にも秋の気配が少し感じられてくる今日この頃、先週の山歩きを思い出し御坂山塊の黒岳まで行ってみることにした。
中央道で河口湖まで行き御坂道に入りトンネル手前の三つ峠入り口の道路に入った所の駐車場に車を置いて歩き出す。
最初は沢沿いに歩き樹林帯を行くと1時間30分位で御坂峠の稜線に出る。
ここからはなだらかな稜線歩きになるが戦国時代の堀跡の遺構が所々残っていてその昔は国境の警備の要所だったことを偲ばせる。
1時間程で山頂標識のある広場に着くがそこには展望は無い。
この標識から南に数分歩いた所に展望が開けた場所があり河口湖越しの富士山が正面に見渡せる場所が案内されている。
今日はスッキリ快晴とまではいかなかったがそれこそ頭を雲の上に出し・・・の富士山が新雪を少しだけまとい姿を見せてくれた。
標高約1800mの山頂付近は確実に木々の葉の色が変わり始めていて秋の気配が確実に近づいている事を感じた。 |
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| 2001年9月23日(日) |
| 小蓮華山 標高:2769m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【白馬大池をバックに】 |

【白馬岳をバックに】 |
・昨日は寒気が入り山は一日雲の中で肌寒い一日だったが今日は秋の高気圧に覆われて快晴になると天気予報が告げている。
体調も少し良くなって来たので蓮華温泉から白馬大池まで歩いてみようかと軽い気持ちで出掛けることにした。
蓮華温泉に車を止めて(駐車場が満車で少し戻った広場)歩き出すが秋の風が爽やかで足取りも軽く高度を稼げる。
天狗の庭まで上がると新雪に薄っすら化粧した小蓮華から雪倉岳が眼前に迫ってくる。(ヤハリ昨日は山に雪が降っていたのだ)
登山道はまだ紅葉には早いが澄み切った青空が気持ちよく新雪の白とのコントラストが素晴らしい。
3時間程で白馬大池までやってきたが不思議な事に今日は疲れを感じない。
ここまで来るともう少し展望のある峰まで上がろうと欲が出てきて雷鳥坂を上り始める。
北斜面には雪が残っているが日差しを受けた山肌からは既に雪は消えているけれど今年の初雪をこの手で確かに感じとった。(冷たい)
結局、2時間程歩き小蓮華岳の頂上まで来てしまった。
小蓮華岳は下から見ると白馬の稜線のように見えるが新潟県の最高峰で立派な頂きがあり山頂には剣のオブジェが建っている。
ここまで雲ひとつ沸いてくることもなく晴れ渡った青い空と将に360°の展望は私にも今まで余り経験の無い事だった。
しばらくこの景色に言葉を失い能登半島、佐渡島、頚城山塊の山々そして白馬から連なる北アルプスの峰々その彼方に頭をだした
剣岳と存分堪能させてもらった。(写真ファイルが消えてしまったのが今でも悔やまれる)
家内は『ここまで来たのだから白馬岳まで行こう』と言い出す始末でどうにか宥めて下山する事にした。
帰り道、白馬大池で一休みすると湖畔のナナカマドの木が紅葉を始めているのに気がつく。
山々が紅葉に彩られるまで後少し、来月の連休を楽しみにしながら秋の陽が傾きかけた頃蓮華温泉まで戻ってきた。
さすがに最後の小屋から駐車場までのわずかな上りが辛い位足に疲れが出始めていた。
今日は結局9時間の行程になってしまい小屋に戻る頃にはさすがに疲労感が出てきたが見てきた景色の素晴らしさに
後悔の念は無い。
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実はテントを購入したら最初は白馬大池と内心決めていたので私には内密の下見の意味もあった。>
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| 2001年9月21日(金) |
| 鷹狩山 標高:1164m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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・ここの所仕事が忙しく毎晩帰宅が遅かったので体調が良くない。
本来、この三連休を利用して爺ヶ岳へ登る予定だったが無理をしないことにした。
9月は秋雨前線が停滞し晴れる日が少なく山の緑も勢いを失い山歩きには余り向かない季節だがこの三連休は珍しく
お天気に恵まれた。
山小屋の草刈も雑草に勢いも無くこれからは開放され遊びに時間を費やせる時なのに体調不良は悔やまれる。
大町まで買い物に出掛けたついでに鷹狩山まで足を延ばし山頂近くにあるインド人が作るカレーがあるというレストランまで
行って見ることにした。
とは言え山頂直下まで車で入れるので歩く距離は殆ど無いが大町を眼下に西に広がる北アルプスの眺望は素晴らしい。
(ファイルが壊れてしまいお見せ出来ないのが残念ですが・・・・)
山頂付近には山栗の木が何本かあり実が沢山落ちていて地元の方が袋を持って拾い集めていた。
展望台には無料の双眼鏡が設置されていて勝手に利用できるのはありがたい。
目的のカレーは・・・・ウムッ私たち夫婦の口には合わなかったようだ。(体調のせいかもしれないが・・・)
どちらにしてもこれ以外は休養の一日とした。 |
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| 2001年9月16日(日) |
| 高柄山 標高:733m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【ガイドブックの写真と同じだと・・・】 |

【彼岸花の赤が輝く】 |
・道志周辺の山歩きは休日の午前中を使いお昼には帰宅し軽くワインを飲むとお昼ねタイムで一週間の疲れが取れるので
またまた山梨百名山のお世話になることにした。
道志道と国道20号の間に平行して秋山村を抜ける道がある。
一般的にはJRの四方津駅から登るのが主流のようだが私たちは秋山村の大内からアプローチすることにした。
沢沿いの道を登ると途中で林道を横切り又山道に入り今度視界が開けると大地峠のトンネルで作業車が数台止まっていた。
(ここまで車が入れるのか?と少々ガッカリもするが・・・・)
その脇の登山道に取り付くと大地峠に着きここから高柄山の全貌が目に入ってくる。(上段中の写真は大地峠でのもの)
一旦下り上り返すと1時間程で山頂に到着し眼下に上の原市街が見下ろせる。
お天気は日差しあるもののぼんやりとしていて遠景は望めない。
帰り道の駐車場近くで真っ赤な彼岸花が咲いていたのが印象的だった。 |
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| 2001年9月8日(土) |
| 今倉山 標高:1470m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【山頂からの景色・・・?】 |

【これが噂のトリカブト】 |
・家内が『山梨百名山』と言う本を買ってきてこれからこの本をヒントに行く山を選ぶと言い出した。
ついでに付録で付いて来た地図を冷蔵庫の横に貼り付けて今まで行った山々に赤い印を付けている。
確かに次は何処へ行こうか?と迷う時や以前に行った山の周辺をというような時には一目で確認出来て便利だと思うが・・・・。
私は元々○○百名山などと言う事自体が好きではない(へそ曲がり者)ので複雑な気持ちなのはいがめない。
大体、山に勝手に順番をつけてどうするのだ100番と選外の101番の違いは何なんだ!などと言ってもしょうがないが
反面、選ばれた山々の登山道は整備され便利になっているのでその恩恵に与かっているのも事実である。
と言う訳で自宅から近い道志山塊の山から歩いてみることになった。
登山口は道志と都留を結ぶ道の最高部にある道坂トンネルの出口(道志方面から行って)にあるのでそこの広場に車を止めて
歩き出すこことになる。
1時間程で山頂標識のある頂上に着くが天気のせいもあり眺望はなかった。(残念)
山頂付近ではトリカブトの花が綺麗に咲いていて秋の近づきを感じる。
この花の根があの猛毒があることが信じられないが『悪いことしたらこれを毎日少しづつ食事に混ぜる。』と言って家内が笑った。 |
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| 2001年9月1日(土) |
| 大菩薩嶺 標高:2057m (山梨県の山) |

【福ちゃん荘前にて】 |
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【大菩薩のお花畑で】 |

【不人気な大菩薩嶺】 |
・今年の夏も峠を越え今日から九月、山には秋の気配が感じられる季節となってきた。
都会は残暑でうんざりなので近場で標高のある大菩薩に行って見ることにした。
大菩薩は小説でも有名になったせいかポピュラーな山で学生時代にも何度か訪れているが家内とも2度目の山歩きになる。
ロッジ長兵衛の前の駐車場に車を止めて福ちゃん荘の横を抜け唐松尾根から雷岩を目指す。
前回は大菩薩嶺まで行っていなかったので足を伸ばしてみたが稜線上の木々に囲まれ鬱蒼とした所で山の頂と言うには
程遠い所だった。(どうりで行く人も少ないばずだ。)
雷岩から介山荘までの稜線は一般的に良く知られた笹原の明るい大菩薩らしい景色が続く。
前回訪れた時、大菩薩峠の標識がある所が昔、学生時代に来た時の雰囲気と違うと家内に呟いていたら途中の賽の河原が
昔の峠だとあるガイドブックに書いてあったと調べておいてくれた。
今回、改めて思い出そうとしたがログ風の非難小屋があるだけで昔の記憶と結びつかない。(どうでも良いことだが・・・)
現在の大菩薩峠は介山荘の近くに標識があり多くの登山者で賑わっている。
我々もここで一休みして下山の途についた。
ここからは介山荘まで荷物を運ぶ為車が通れるように整備された道(一般車は入れない)で広く歩きやすい。
この行程だと雷岩の手前の急坂付近と稜線の登山道沿いに秋の花々が楽しめる。
【注】
ここからしばらくの間、一部写真がスキャンした物になり見難い事お詫びします。
<以前PCが壊れた時ファイルが復元出来ずプリント・アウトしてあったアルバムからスキャンした為です。>
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| 2001年8月15日(水) |
| 徳本峠 標高:2140m (信州の山) |

【小屋前にて】 |
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【徳本峠からの穂高連峰】 |

【島々の徳本峠入り口】 |
・前回の唐松岳登山で体力的にも自信が出来たので又北アルプスを歩くとなるとヤハリこのコースを通って先ず山に挨拶をしなければと思いついた。
時期的にも夏のお盆休みで何処の山小屋も一番の混雑が予想されたこともあるが、父が山に憧れを持った原点でもあると家内が言っていたのを
思い出したこともその一つの理由になっている。(私は未だ読んでない)
父の本によると昭和12年にこの峠を越えて見た穂高連峰の素晴らしさに心を奪われそれから登山暦を重ねていったと書いてあったそうだ。
勿論、ウェストン卿が日本アルプスを世界に紹介したのもこの道からだったことは余りにも有名だが今では訪れる人も少ないとの事なので
私たちは
@北アルプス登山の再開の挨拶。
Aお盆でお墓参りをしないで父を偲ぶ。
との勝手な理由をこじつけて更に、おそらく山小屋が空いているだろう期待も込めての選択だった。
・島々役場の横の川を少し遡った川原に駐車場があると聞いたのでそこに車を止めて歩き出す。(今日はここから8時間の行程だ)
歩き出してしばらくは川沿いの広い林道を歩くことになるので夏は早朝歩きなら良いが昼間は辛いだろうなと思う。
釣り人や山菜採り?の人とすれ違いながらこの広い林道を2時間程歩くと二俣に着いていよいよ登山道に入る事になる。
二俣はチョットした広場になっていて案内板やトイレも設置されていてありがたい。
ここからは狭い渓谷(峡谷)沿いの道になって所々にはつり橋や崖下の桟橋状の道を行くことになり日差しは避けられて涼しく
夏でも快適に歩けるが整備するのが大変だろうなッと感謝の念が涌いてくる。
途中に戦国時代飛騨方面から逃げて来た奥方が命を落としたとの碑が立っていたがそんな以前から使われていた道かと驚く。
1時間30分程で有名?な岩魚止小屋に着くが人は居ない。(看板には予約がある時だけ開けると書いてあった)
小屋前の川原で軽食を摂って又歩き出すが段々沢が浅くなり沢から右に逸れて急坂をジクザグと上り始めると力水の標識に着く。
残念ながら水は涸れていて力を貰えなかったが高度が上がり少しづつ開けて来た空が雲行きが怪しい。
小屋までどうにかもってくれ!と祈るがポツポツと雨粒が・・・大きな木の下で雨宿りをしようとしたが雨脚が強くなりそうなので雨具と
ザックカバーを着けて先を急ぐことにした。(山歩き再開後初めての雨具使用になった。)
みるみる登山道が泥水の川となり激しい夕立となったがゴアテックの雨具は昔の合羽に比べ快適だ。(技術の進歩は素晴らしい)
徳本峠小屋は三階建てとガイドブックには記されているが昔ながらの今にも倒れそう(失礼)な木造の平屋で天井裏に段差のある
寝床があるランプの小屋だ。(私はケッシテ嫌いではない)
小屋に着いて土間で濡れた衣服を乾かしながら雨が上がるのを待ったが雨が上がったのは夕方だった。
一瞬、夕景の中に穂高連峰が顔を出し皆の歓声が上がったがつかの間又深い雲に覆われてしまった。
今夜の宿泊者は13名とのこと(お盆休みにしては少ない)、ほとんどが上高地からここまでか霞沢岳往復の基地にしているようだ。
私達のように徳本峠越えをしようなどと思う人は少ないのだろう。
<そういえは今日も会ったのは母娘と男性一人旅が二人それに外人が一人の計5人だけだったような気がする静かな行程だった。>
夕食(食事内容は良かった)後それぞれ時間を潰し三々五々床に入った。
今夜は山小屋の管理人の友人達が訪ねて来ていて夕方からドタバタしていたが食事の片付けが済んだ頃から酒宴が始まった。
寝床が下から筒抜けなので結構ウルサイ!その内、宴が酣になると歌が始まり『♪何時かあ〜る日、山で死んだラ〜♪』を壊れたレコードの
ように繰り返す。(いいかげんにしろ!と腹の中で何度も呟くのだが・・・・・)
宿泊客は皆静かに床に就いているのに従業員がバカ騒ぎするのは始めての体験だと他の客も呟くが一応9時まで我慢しようと申し合わせた。
最後は女性従業員がどうにか宥める声が何度かして宴が終わったのは9:30を過ぎていた。
昔はこの小屋に頑固親父がいて厳しかったと聞いたが”小屋は変わらねど×××。”である。
つくづく昨今の山小屋事情には懲りて外のテントの人達がうらやましく思えた夜だった。
翌朝はスッカリ晴れ渡り憧れの穂高連峰を目の当たりにする事ができ感激の内に上高地に下山した。
この時期は午後になるとバスに乗るのも大変だと聞いていたので(朝上高地に入って皆帰りの整理券を持って散策するらしい)
そのままバスターミナルを目指した。
バスは沢渡へのシャトルバスでは無く、新島々か松本行きになりそれでも2台待ちで乗ることが出来た。
途中下車する我々は一番最後に乗れとの事で全員が乗車した後ザックを抱えて後部ドアから乗り込み補助椅子に座ったら係員との
やり取りを聞いていた隣のご夫婦に何故途中下車するのか?と声を掛けれられた。
経緯をお話しすると大変興味を持たれたが自分たちには無理だろうと残念がっていた。
お二人はご主人の定年退職の記念に昔訪れた上高地をと思い帝国ホテルで宿泊されたがホテル前ではバスに乗れないので
ターミナルまで戻って乗車したとの事だった。
私達が島々役場前で下車する時にご夫婦は改めてここから歩いて山を越して上高地に入ったのかと驚いておられた。
自分たちも何時の日か歩けなくなる日が来るのでそれまで出来るだけ時間をつくり山を歩いておこうと話し合った。
駐車してあった車で松本郊外のすし屋に寄りお互いの労をねぎらって山小屋に戻りワインで乾杯して目的を達した事を祝った。
@ ガイドブックにあった8時間のコースを休憩を含めて7時間で歩けた事。
A 疲労も残らず体力的にも無理では無かった事。(筋肉痛は翌日以降かなり出たが・・・・)
B 装備もそれなりに整ってきている事。
以上を確認でき自信もついたので来年は縦走してみることで話がはずみ夜が更けていった。
【追記】
この夏、二軒の山小屋での体験が私の中でテント泊への欲望を目覚めさせたのはこの時からである。 |
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| 2001年7月21日(土) |
| 唐松岳 標高:2696m (信州の山) |

【丸山ケルンにて】 |
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【朝焼けの唐松岳】 |

【唐松岳山頂】 |
・高尾山で歩けなくなった運動不足から徐々に歩き始めて3年が経ちそろそろ北アルプスに又登ってみたくなった。
となればやっぱり唐松岳からであろう。
安心の為一応唐松山荘一泊の予定で海の日に登ってみることにした。
最小限の荷物をザックに詰めてゴンドラを使いリフトも最大限利用し山頂を目指すが昔のイメージと違い良く整備され登山道で何の苦も無く山荘に
着いてしまった。
手持ちふさたで何度か山頂往復を試みるがそれでも時間がつぶせない。
やっと早めの夕食を囚人のように時間管理されながら終えると雲が多いながら日本海側に沈む夕景を見て部屋に戻り床に着いた。
所がそれからが戦場でどうどん人が詰め込まれてくる。
この日は最近では海の日ではなく山の日と言うようだと誰かが言っていたことを思い出す。
とうとう廊下にまで人があふれ高鼾といつまでも寝ない団体の宴会が続いて夜が更けていった。
私は疲れもないので中々寝付かれずやっとウトウトすると今度は3時頃から早立ちの人達の荷造りの音で目が覚めた。
あのスパーの袋のガサゴソという音は結構大きく耳ざわりなものだと気づくがいたしたなくジッと時が経つのを布団の中で待っていた。
それでも私達は朝食は自前で持ってきていたので暗がりの中仕度を整えご来光を見に小屋近くの頂に向かった。
そこで暖かいコーヒーを沸かしフランスパンの朝食の準備をしていると家内が突然下着を入れた袋が無い!と言い出した。
あの仕度の最中隣にいたパーティーのおば様達一向に持っていかれたと言うのであわてて山小屋に戻ったところ間違いに気づいた先方が
ベットのところに置いていってくれていたとの事であった。
憧れの北アルプス再開の旅は散々なものがあったが、それらの嫌な事全てを忘れさせるような快晴の空は誰も未だ上がって来ない尾根の下りの景観と
鏡のように静かに白馬三山を映す八方池が迎えてくれたおかげで忘れてさせてくれた。
八方池でその景色に吸い込まれるように見とれているとヤット朝一番のゴンドラで上がってきた一団がやってきた。
最盛期のこのルートもこんな静かな時間があるのだと想いつつやっぱり北アルプスはイイナッ!と心に決めて再開する自信がついた山歩きでもあった。
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| 2001年7月15日(日) |
| 櫛形山 標高:2052m (山梨県の山) |

【山頂にて】 |
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【登山口のアジサイが見事!】 |

【あやめ平にて】
手折られしあやめの花のあわれさよ
君にも命のあるものを |
・あやめの綺麗な山があるから行こう!と家内が言い出したのでこの山に行くことにした。
当日がちょうどあやめ祭りに当たってしまい一般車は途中からバスに乗り換えろとの指図であったが要領を得ない、あっちへ行け、いやこっちは満車だだと
振り回されつづけて私は少々不機嫌になる。
これもあの観光協会主催だそうたがテントを張ってお祭りも良いがもう少し統制をとってほしいものだ。
別に私はお土産や振る舞い汁が欲しい訳ではないので侵入禁止なのであれば駐車場にスムーズに誘導してもらい、乗り換えるシャトルバスに
案内してもらえばそれだけで良い。
普段から登山道を整備していただいている地元の方々には心から感謝しているので入山料を払えと言うのであればそれも致し方ないと思うが、各地で
増えてきているこの手の観光協会主催○○祭りだけはイタダケナイ。
相当の予算と地元の人達が借り出されているのであろうが・・・・・私はあまり賛同出来ない風潮のひとつのような気がする。
このあやめは東洋一の群生を誇るようだがあやめ平でも訳のわからない音楽がスピーカーで大音量で流されていた。
何か場違いの所へ迷い込んでしまったようで最後まで後味の悪い山歩きであった。
これをきっかけに日本百名山とか花の百名山とか言う山に行くときは事前にインターネットで○○祭りをやってないことを確認してから行くように
心掛けるきっかけとなった山行だった。 |
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| 2001年7月10日(火) |
| 高指山 標高:1174m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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・前回の高川山が楽しかったのか?タマニハ女性だけ(旦那以外と)で山歩きをしたいと思ったのかは定かでないが、石割山へ行くと行って出かけたが
体調もあったのであろう向かいの高指山へ行ってきたそうだ。
私はこの山は知らないが藪こぎと暑さには参ったそうだ。
帰りに温泉に入って帰ってきたそうだが主婦は平日に歩けるので機会があればそれも良いのではと思う。
登山人口が増えているとは言えなかなかご近所では一緒に行ける人は少ないらしいので大切に続けは良いと願うのだが・・・・。
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| 2001年7月7日(土) |
| 黒川鶏冠山 標高:1716m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【鶏冠山をバックに】 |

【これが目当ての桃!】
おいシ〜ィ |
・桃祭りで7月に入ると桃の出荷が始まり農協のセンターで買えるとの話を聞いたので桃を買うため甲府の何処かの山に行かなくてはと選んだのがこの山だ。
動機が不純なので鶏冠山には申し訳なく感じている。
実際に行ってみるとこの山は武田の金山があった場所らしくその昔多くの工夫と遊女にまつわる悲しい言い伝えが残る山だったようだ。
鶏冠というように山頂付近は幾つかの起伏をもった頂があり狭くて細い道が続く。
やっと着いた山頂は上の写真のように小さな祠があるが休む場所も無い位だった。
どうも私は霊感が強いのか単なる臆病なのか戦国時代の金山の秘話を聞いてしまったセイでこの山歩きが好きになれなかった。
里に下りると梅雨の晴れ間で強い日差しが気分を変えてくれ、根が明るい性格の家内は"桃、桃"と農協の看板を探している。
街道沿いの桃販売ではなくて農協の集荷場が良いとは聞いたが最盛期で忙しく働く人に声を掛けられない私を置いて家内はとある集荷場に
入っていった。(さすがこの食に関する執着心は女性にはかなわない・・・・・)
しばらくすると『貴方、箱を持ってらっしゃい!って言われた』と二つの桃を手に持って家内が帰ってきた。
『これはご主人の分ですって』とその一つをさしだした顔は笑顔に満ちていた。(右上の写真)
箱と突然言われても車の中には登山靴の箱くらいしかなくそれを2個持って戻った妻は結局箱代300円を払って大きな出荷用の箱を持って戻ってきた。
桃は傷みやすいので食べごろに熟した物は出荷されないとかいろいろ話を聞いてきたようだが最後は主婦独特の『スパーで買ったら・・・』の
決め文句でしめくくった。
いくらで何個の桃を買ったかはここでは書かないがその後この時期の我が家の行事の一つになった事でこ゛想像頂きたい。
戦国時代の遊女の悲しい秘話と武田一族の栄枯盛衰と現代の妻の桃を食べる幸せな笑顔が混ざり合った不思議な山歩きのひと時だった。
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| 2001年6月17日(日) |
| 栂池自然園 標高:2003m (信州の山) |

【水芭蕉湿原てに】 |
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【栂の森遊歩道にて】 |
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【白馬岳をバックに】 |
・栂池自然園のもう一つの魅力が水芭蕉だったので一度見てみようと上がってみることにした。
私達は栂池の混雑にはへきへきしているので何時も朝一番のゴンドラで上がるので行きはよいよいでスムーズに歩けるがご覧のように自然園
自体はまだ水芭蕉には少々早かったようだ。
楠川までは木道が出いてたが所々まだ雪の中だったがそれでも多くの観光客やカメラを担いだ一団が入ってきていた。
楠川から先は未だ完全に雪に覆われた世界で一応自己責任の看板があるがそれでも普通の靴で入って行くオバ様達の勇気?には敬意さえ感じる。
私達は整備された木道も歩くのでアイゼン(アイゼンの爪は木道を傷めるので)ではなくスパイクを付けて先に進んだ。
何時ものように展望湿原の先の展望台で休息を摂り雲の流れにわずかに顔を覗かせる白馬の景色を楽しんだ。
やせ尾根を下る頃には下の雪原に砂糖に群がる蟻のように観光客の姿が見えて来た。
その一団とすれ違うと口々に『あんた達いい靴履いてるネ、それなら滑らなくていいワ』と声を掛けてくる。(あんた達こそよくその靴でここまで来たねと
胸の中で毒づく)がこのオバ様達は未だ良い方で水芭蕉湿原に戻る頃には例の大型カメラと三脚隊があちこち道を塞ぎ中にはロープを越えてやっと
咲き始めた水芭蕉を写真に撮る為に湿原の中に入っていっている。
または、観光協会の説明ボランティアが大群を率いて狭い木道の途中で説明を始める。通れない人達が木道を外れてすれ違うとパトロールが
コースを外れないで下さいと注意する。
こんなちぐはぐな中で水芭蕉祭りと称して笛や太鼓をタタイテ鍋を振舞う観光協会っていったい何なのだろうかと常々疑問を感じると同時に
そろそろ栂池自然園からの卒業を感じはじめていた。
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| 2001年6月12日(火) |
| 高川山 標高:976m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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・家内が友人と山歩きをしたいと言って高川さんへ行ってきた。
この山はデジカメを買う前に行って眼前の富士山を堪能出来たのと電車の駅からも近いので手軽だと思って推薦した山だ。
あいにく雲が湧いて富士山も見えなかったようだが一汗かけてお友達も喜んでくれたと報告を受けた。
私達が登った時は足元をリニアモーターカーが走り時々ド〜ンとトンネルを抜ける音がしてシューと言う独特の走行音が聞こえ美しい富士の姿と
日本の新しい技術のリニアが絵になり私たちの子供の頃に夢見た新幹線と富士山が思い出された。
だが今はその高度成長の夢に対する郷愁の思いとは別に自然破壊や『狭い日本、そんなに急いで何処へ行く!』などとの標語も胸によぎり
時の流れを感じる山歩きだったのを覚えている。 |
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| 2001年6月9日(土) |
| 乾徳山 標高:2031m (山梨県の山) |
【山頂にて】 |
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【乾徳山をバックに】 |

【大平の駐車場にて】 |
・ここもつつじが綺麗だというので再挑戦のような意味も込めて選んでみた。
乾徳山は甲府盆地の北部に位置し秩父山塊に属しているそうだが私たちには西沢渓谷の入り口にある山のイメージが強かった。
大平牧場を登山口に選んだがその開拓の歴史を読むとその苦労の跡がしのばれ頭が下がる思いだ。
今こうして気軽に山歩きを楽しむ我々の姿をたった数十年前、ここに入植して厳しい自然と向かい合った人々はどのように思うだろうかと
想像すると胸に込み上げてくるものがある。
今も数件残るという牧場の駐車場に車を預けてしばらく牧場の中を歩き登山道にとりつくとさすがに人気の山らしく多くの登山者と行き交う。
山頂が近くなると結構険し岩場や細い道となり所々で渋滞になっていた。
その原因の殆どが高年の(中ではない)団体・グループによるもので、もう少し考えて行動してほしいと常々思うのだが・・・・残念である。
究極は最後の大きな岩の鎖場を登るところで腕力の無いオバ様軍団が引き起こしていた渋滞だった。
いくら交通の便が良くなり手軽に山歩きが出来るようになったとは言え下調べと自分の体力位考えて欲しいものである。
山頂もそれほど広くない岩場で多くの登山者が休息していたが幾つものグループが場所を陣取り食事をしているので場所が無く我々は
反対側の下山ルートの途中で昼食とした。
下界は晴れの予報で陽も出ていたが梅雨の走りであろうか山には重たい雲も湧きだし眺望は得られなかった。
それでも登山道中腹に咲くつつじや咲き始めたあやめなどが目を楽しませてくれた山歩きだった。
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| 2001年6月2日(土) |
| 甘利山 標高:1731m 千頭星山 標高:2139m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【満開のつつじと】 |
 【山頂にて】 |
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・今年もまた梅雨の季節が近づいて来た。
私達はどうも雨の中を山歩きするのは苦手である。(誰でもそうかと思ったら雨の中こそまた趣きあるとか雨で山へ行かない人は本当の山好き
とは言えない!などと良く雑誌に書いている山タレ<山を題材に食べているタレントを私はこう呼ぶ>がいるのであえて言ってみた。
家内がレンゲつつじが綺麗な山があると言うので甘利山まで行ってみることにした。
甘利山は南アルプス東部にある前衛のような山で直下まで車道が整備されているので駐車場からものの10分も歩けば山頂についてしまう。
季節的には少々早かったのかつつじはぽつぽつであったが家族連れで賑わっていた。
山頂周辺はなだらかな丘状で山火事があったとかで歩道以外はロープが張られ植物の再生中の看板があちこちに立っていた。
その中をスーパーのビニール袋を持ったオバ様がここでも注意を無視して入り蕨があると言って採っていた。(情けない光景だ)
千頭星山はここから1時間半ほどの行程だがなだらかなアップダウンを繰り返しながら樹林帯を抜けると大菩薩のような笹原に出て
一登りすると山頂である。
山頂は木々に覆われ展望もなかったので笹原まで戻って休息とした。
ここからは鳳凰三山が手に取るように見えるが朝方薄く見えていた富士山は完全に靄の中に隠れてしまっていた。
それにしても千(セン)頭(ト)(聖)星(セイ)などといろいろ妄想させてしまい楽しいSFマンガチック山名である。
つつじの満開の時に再度訪れてみたいが梅雨の合間の休日と重ねる確率は難しいのではと思いつつ帰路についた。 |
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| 2001年5月6日(日) |
| 焼山 標高:1059m (神奈川県の山) |
 【山頂にて】 |
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【山頂かの白樺と】 |

【新緑のトンネルの中を】 |
・関東はスッカリ新緑の季節になっている。
雪は雪で美しいものがあるがヤハリ目にしみる新緑も味わいたいと丹沢の焼山まで歩いてみることにした。
焼山は東海自然歩道として整備された北丹沢に位置する山だがあまり知られていないのであろうこの時期の日曜日にしてはすれ違う人も
少なくゆっくりと新緑の山歩きを楽しめた。
特に山頂という雰囲気は無い山だが展望台が整備されてその周辺だけ白樺が植えられたのか?自然?かちょっとした公園風になっている。
山火事で何度か燃えているので焼山と言うそうだが命名も少しかわいそうな山である。
特にこれと言った特徴も無い山のようだが新緑の中を歩くと言う目的は達せられた山歩きであった。 |
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| 2001年5月1日(火) |
| 大渚山 標高:1566m (信州の山) |

【湯峠にて】 |
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【大渚山をバックに】 |

【春を待つブナと】 |
・五月の連休は毎年山小屋の冬の後片付けが恒例行事になっている。
5月と言っても山小屋の周りはやっと雪が消え山桜が咲いている位で木々の緑はまだ無い。
雪で曲がったり折れたりした庭の木の手入れや花の植え付け等結構やる事が多いけどその合間に大渚山まで歩くスキーで行ってみることにした。
小谷温泉から先はやっと除雪が終わり雨飾キャンプ場駐車場まで行けるようになっていた。
そこに車を止めて鎌池経由湯峠までスキーで行ったがその先はこのスキーでは無理と判断して今回は引き返す事にした。
雪が無くても来る人が少ないこの山は誰にも会わず鎌池の駐車場を除雪する作業の人だけが黙々と機械を動かしていた。 |
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| 2001年4月15日(日) |
| 栂池自然園 標高:2003m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【自然園手前にて】
空が広〜いッ! |

【イザ出発】 |
・家内が家事の間に聞いていたラジオで雪の中を自由に歩けるスキーがあると言っていたというので、この冬ライトツーリングのスキーを買ってみた。
何度か山小屋の周辺や白馬にもある歩くスキーのコースで楽しめたのでこの栂池自然園まで上がってみることにした。
この時期、栂池はまだスキーシーズンでゲレンデのゴンドラは動いているがその上の自然園までのロープウェーは冬眠中である。
一般的にはすでにスキーシーズンは終わっているのにここ栂池はまだ雪があるのでそれなりにスキーヤーで賑わっているがゴンドラの上へは
上って行く人は少ない。
雪に埋もれた林道を白馬乗鞍方面へ向かう登山者と山スキーを楽しむ数名のパーティーと一緒に上って行ったが自然園まで行ったのは私達だけ
であった。
自然園は静まり返り、この日の空は抜けるように蒼く宇宙を感じる程高かった。(:決して大げさではない)
ヒュッテの建物の横に風が作った大きな溝が出来ていたので底に下りて風を避けながら休息をとった。
すでに4月の日差しは強くそこだけは春を感じさせてウトウトと眠気に誘われてついつい長時間のんびり過ごしてしまった。
折角、ここまで来たし展望湿原まで行ってみようかと穴から這い上がるとかなり風が強くなってきていた。
それでも雪に覆われた自然園は真平で楠川まで風に押されてアットいうまに着いてしまったのだがその静けさと風の音になぜか恐怖感さえ出てきて
しまい引き返すことにした。
この景色を見られた事は将に『神様が創った雲上の楽園』と言うにふさわしい場所での貴重な体験が出来たと思う。
帰りの林道は歩くでもなく、滑るでもないこのスキーならではの楽チン下山であったがさすがゲレンデを滑るにはちょっと無理があるので
結局ゴンドラを使うことにした。
【追記】
翌日の月曜日を休暇にしてあったので帰京がてら高遠の桜と甲府の桃の花見と盛りだくさんでとっても贅沢な日々を過すことができた。
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| 2001年1月6日(土) |
| 笹子雁ヶ腹摺山 標高:1358m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【旧笹子トンネル】 |

【その昔の笹子峠】 |
・年末年始を信州の雪の中でのすごして関東に戻ると太陽のありがたさをつくづく感じてしまう。
前回の"雁ヶ腹摺"という名前に惹かれて笹子雁ヶ腹摺山を選んでみた。
ここは甲斐の国(山梨)と江戸(東京)を結ぶ昔からの要所であり遠い昔の街道の難所をしのばせる峠の茶屋跡やついこの前?まで
使われていたトンネルなど時の流れを感じ取れる山歩きが楽しめる。
ただ、現代もこの要所は多くのトンネル(20号線、中央高速、中央線)や何本もの高圧線鉄塔と電線の通り道でもあり巨大な人工物が
いやおうなしに視界の中に入ってきてしまうのはいたしかたないことなのだろう。
峠から山頂までは葉を落とした木々の中を木漏れ日ハイクの感覚で歩けるが視界には常に高圧線が目に入りどうにもいただけない。
ちなみに雁ヶ腹摺とは渡り鳥の雁が腹を摺るように飛び越える山脈のあん部にある山との意味だそうである。 |
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| 2000年12月24日(日) |
| 雁ヶ腹摺山 標高:1874m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【これがあの富士山】 |

【山頂の白大木】 |
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・関東の冬はよく晴れて空気が澄むので気持ちのよい山歩きができる季節でもある。
一年の締めくくりに前回の扇山で見た富士山よりもと選んだのが古い世代にはわかる『五百円札の富士山』で有名なこの山だった。
その頃は一日行程の山道だったそうだが今は大峠から1時間程で山頂に着いてしまう。
山頂手前は草原状になっており振り向けば左右に大きく裾野を広げる端正な富士を見ながらのアプローチになっている。
この山自体は南北に伸びる大菩薩山塊の東側に位置するが山容が良くわからない少々かわいそうな山だ。
それでも標高は2000m弱あり、この時期美しい富士を見る為にはそれなりの防寒が必要である。 |
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| 2000年12月16日(土) |
| 扇山 標高:1139m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【山頂から相模湖方面】 |

【登山口の神社】 |
・国道20号線を車で走るとき大月手前右側に堂々とした三角形の山がこの扇山である。
この日記がスタートした百蔵山の隣に位置していて、やはり富士山展望の山の一つだが富士山を背景に写真を撮ろうとすると全て
逆光になってしまうのはこの周辺の山の宿命かもしれない。
登山口は20号線から離れて大野貯水池を過ぎた所にある神社が目印とガイドブックにあったが、その神社を見落とし同じような神社の
横から上り始めてしまった。
人気の山だと聞いて来て見たが、段々道が細くなりとうとう藪こぎになってしまった。
こんなに人が来ないのか?と疑問に思いつつも進むと突然綺麗に整備された登山道に合流した。(どうやら山仕事用の林道だった
ようだ。)
そこからは、ポピュラーな山にふさわしく数名のパーティーとすれ違いすぐに山頂に着いた。
山頂は広く木々の間から新雪まとった富士山が顔を覗かせていた。
帰りは迷わず正規のルートで下山したが登山口の立派な神社の鳥居をナゼ見逃したか不思議でならなかった。(右上の写真)
そこから車道を15分程進むと私達が登り始めた小さな神社にたどり着き止めてあった車に乗って帰路についた。
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| 2000年11月24日(金) |
| 大姥山 標高:1006m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【大姥の洞窟】 |
 
【大姥山バックに】 【入り口にあった金太郎と】 |
・この時期は車のタイヤをスタッドレスに変えて山小屋の冬支度に訪れるのが恒例行事になっている。
この連休の秋晴れの一日、長野にも金太郎伝説の山があると言うのでこの大姥山に登ってみることにした。
大町側からはかなり山深い里山でやっとたどり着いた入り口には確かに金太郎の絵の看板があった。(上の写真)
数件の民家(何故か大相撲の力士の大看板を掲げる家があるのに驚き)の横を抜けると大姥神社までなだらかな道が続いている。
訪れる人も少ないのだろう、作業中の老人に『あんた達、何処から来たね?』と声を掛けられたので『神奈川県から・・・』と答えると 『足柄があるからね』と
納得したように笑って答えたのには、こちらも思わず笑ってしまった。
大姥神社裏手からは急に鎖場やロープの急坂になり落ち葉に埋もれた道は歩きにくくやっとのおもいで山頂にたどり着いたがそこには、何本もの
電波中継塔が立ち立派な東屋があるだけだった。(山頂の標識も無い)
おまけに、そこからは整備された車道が反対側に続いており、おもわず家内と顔を見合わせて苦笑してしまった。
帰りに立ち寄った大姥の洞窟は砂岩部分が風化してできたであろう自然の洞で奥行きは無く人が住んだとも思えないものだが、その自然の
不思議な力に信仰の対象となったことは想像できる大きさであった。
中にあった記帳には最後の欄が10月??とあったのでもう一ヶ月は誰も来ていないのか・・・と妙にうなづいて下山の途についた。
下山途中、偶然登山道脇に見つけた大きな"紫しめじ"をおみやげにして駐車場まで戻ったが、結局ここまで朝会った作業中の老人以外誰とも会わない
静か過ぎるような山歩きだった。
<その後の教訓 :
信州の里山は侮れない!> (笑い)
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| 2000年11月5日(日) |
| 大峰高原 標高:1000m? (信州の山) |

【大峰高原の大楓と】 |
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【大峰高原から北アルプス】 |

【ブナの紅葉と】 |
・権現山ハイクから山小屋に戻っても今日の快晴は続き雲も湧いてこないので大峰高原にある大楓を見てみようと続けて出かけてみた。
この大楓は私有地にあるが柵も無く、駐車場まで作ってくれていてその所有者の心の寛大さに驚くと同時に何故かうれしくなってしまった。
『ワーッ綺麗!』と言って落ち葉を拾いに大楓に近づいた都会からのオバ様集団に『根元を踏んだら大楓が可哀そうダデッ』と声を掛けた地元の
おばあちゃんの優しい気持ちの一言も心に残る一こまであった。
柵や大楓饅頭?:見物料など取られないようなこのままの状態が続けばと思いつつ、良き日本のふるさとを感じる秋の午後であった。 |
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| 2000年11月5日(日) |
| 権現山 標高:1222m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【青木湖をバックに】 |

【山ぶとうを見つけた!】 |
・権現山は山小屋の裏山で普段の散歩コースになっているが、青木湖を眺められるスキー場までで、その山頂には今まで行ったことがなかった。
秋晴れの一日、フッと思い立ちおにぎりを持ってスキー場を登り反対側の美麻村まで歩いてみることにした。
山頂そのものは木立が多く展望も無かったが途中からの北アルプスの眺望と眼下の青木湖は将に日本離れした素晴らしい景観だった。
人が来ない事が不思議だが、こんな静かな所もあって良いのではないかと思う。
山頂付近には多くの電波中継塔が立ち、その為の道路が新行と美麻村間に通じていて紅葉の林の中をゆっくり歩けるが、途中で工事を
していた作業員の人に熊が出るゾ!と脅かされ家内は少々当惑気味??その人は確かに大きな鈴を腰から下げていたが・・・・。
古い藁葺きの民家を抜けると一旦国道に出て(そこには美麻村の経営する温泉施設「ぽかぽかランドがある)帰りに又峠越えで一汗
かくのでおそばを食べて帰途についた。
ここからは和知場峠を越えてスキー場に戻れば何時もの散歩道に辿りつくことになる。
のんびりと紅葉を楽しみながらの約4時間のコースだが結構お気に入りのプライベートコースとなった。 |
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| 2000年11月4日(土) |
| 大渚山 標高:1566m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【北アルプス方面をバックに】 |

【登り口にて】 |
・小谷温泉の先に展望の良い手頃な山があると聞いてこの大渚山を選んでみた。
11月に入っているので周辺の紅葉は既に終わってしまっていたが、普段から静かな山歩きが出来ると聞いていたけど本当にすれ違う人も無く、
北に雨飾山、南西に北アルプスの山々が眺望出来、手軽な山歩きが楽しめる山であった。
と思ったのだが山頂の展望台の上で方位版をテーブルに鍋宴会をしている一団と遭遇してしまいチョット興ざめ!!
我々が展望台に上がって行くといかにも迷惑そうな目の視線を浴びてホウホウの体で退散!展望台の下には幾つもテーブルが準備されて
いるのに・・・・どこかのペンションの企画ツアーのようだったが、余り感じの良いものでは無い。
山自体は湯峠の駐車場から1時間程で登れ、帰りには小谷温泉の寸志の露天風呂にも入れて楽しみの多い良い山だと思う。 |
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| 2000年10月10日(火) |
| 栂池自然園 標高:2003m (信州の山) |

【水芭蕉湿原にて】 |
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【銀嶺水場にて】 |

【展望湿原先にて】 |
・夏が良かったので秋も見たくて又自然園に上がって来てしまった。
この年は紅葉の盛りには少し早かったが雲と光の遊びの中で錦に彩る木々の色合いに目が覚める思いだった。
ゴンドラ乗り場は早朝より長蛇の列で行きはヨイヨイ帰りは何とか・・・・帰りの中継点ではまだ登って来る人たちの長い列が延々と伸びいてた。
これこそ早起きは三文の得!と言うことだろうか?と実感したが一方カメラを持った人達のマナーが気になり出したのもこのころからである。 |
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| 2000年9月22日(金) |
| 小遠見山 標高:2007m (信州の山) |
 【山頂にて】 |
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【地蔵の頭にて】 |

【五竜岳をバックに】 |
・ゴンドラを使って山に登るなんて・・・スキー以来やっていなかったのだが・・・何故か下りにもお金を払う気持ちの切り替えに時間がかかったの
だろうか、栂池自然園で満喫したせいで五竜遠見のスキー場にも行って見ることにした。
山頂駅から一時間程で行ける小遠見山は標高2000mながら白馬三山、五竜岳、鹿島槍と眺望に優れ、もう秋の気配が感じられた。
山頂ベンチで休んでいるとスキー場の従業員の女性が休みを利用してのんびり本を読んでいた。
こんな時間の過ごし方もあるのかと改めて教えられた気がしたので暖かいコーヒーをご馳走して山を降りた。
季節が垂直に移動することを学んだ山歩きでもあった。 |
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| 2000年8月14日(月) |
| 栂池自然園 標高:2003m (信州の山) |

【水芭蕉湿原にて】 |
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【展望湿原にて】 |

【ワタスゲ湿原にて】 |
・この間ずいぶん日にちが空いているが・・・・記録が無いのでキット山に登っていないのであろう?。
栂池自然園は昔、白馬岳から下山の折バス停があって利用したことはあったが何時も疲れきっていて園内に入った事はなかった。
今回、ロープウェーが開業され綺麗に整備されたとのことで初めて行って見ることにした。
北アルプスの懐にいだかれた高層湿原は色とりどりの高山植物の宝庫で木道も整備され魅力たっぷりのトレッキングが楽しめるが、
その便利さゆえ多くの観光客が押し寄せ時間が遅くなるとニッチもサッチも行かなくなることになる。
出来れば朝一番のゴンドラで上がってお昼前には降りるようなスケジュールが望ましいと思う。
コースガイドに従って全てを回っても4時間弱で回ってこれるコースだが、やはり標高2000mの高層なので天候には注意したい。
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| 2000年4月22日(土) |
| 生藤山 標高:990m (神奈川県の山) |
 【山頂にて】 |
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【山頂下のつつじと】 |

【これから向かう生藤山】 |
・桜が綺麗な山があるとのことで生籐山を選んでみたが山頂下の並木の桜には未だ早かったようだった。
だか途中の農家の桜や山頂下のつつじが美しく山にも春が来ていることを実感できる山歩きだった。
生藤山入り口は分かりにくく駐車場も路肩駐車になるが稜線に出ると陣馬へ連なる道標が整備され何時かは歩いてみたいと思わせる
歩きやすい山であった。 |
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| 2000年4月9日(日) |
| 石割山 標高:1413m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【平尾山にて】
富士山と山中湖が美しい |

【登山口の鳥居にて】 |
・富士山が正面に見える良い山があるとのことで石割山に行くことになった。
道志道から山伏峠を抜けて山中湖直前を右に入る(鳥居があるとの事だがこの方面から来ると見落とす)としばらく行くと立派な駐車場があり
綺麗なトイレも備わっているのはありがたい。
駐車場対岸の鳥居をくぐり長い一直線の石段を登りきると東屋のある富士見平に着く。(ここからの富士山に先ず見惚れる)
そこからなだらかな道をたどると石割神社に着くが本当に不思議な岩が神社の横に衝立のようにそびえしかも割れ目がはしっている。
昔の人が神の力を信じた光景だと思う。
何時もの様にお賽銭を上げて地元の方々に感謝し神社の左側から登山道に取り付くと20分程で開けた山頂に着いた。
ここからの富士山と山中湖は正に絶景ポイントだ。
休息後さらに富士山に向かって歩く登山道が下方に続いているので赤土の滑りやすい道を降りてゆくと展望の良い平尾山山頂に着く。
ここからは別荘地を抜け大平山に行くコースとなるが私たちは少し石割山側に戻り、途中から右に折れて駐車場に戻るコースを取った。
行程3時間弱で特にキツイ登りもなく気持ちの良い山歩きと展望が楽しめるコースだった。 |
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| 2000年4月16日(日) |
| 大栃山 標高:1415m (山梨県の山) |
 【山頂にて】 |
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【檜峰神社にて】 |

【桃畑にて】 |
・釈迦ヶ岳に登ろうと自宅を出発したが笹子トンネルを抜けると甲府盆地は厚い雲に覆われていた。(天気予報は回復と言っていたのに・・・・。)
国道137号から登山口の入り口が中々分からず行ったり来たり、迷った末着いた檜峰神社では小雪が降り出す始末に妻の気転で大栃山へ
変更となる。
迷った挙句にたどり着いた檜峰神社は立派な佇まいで駐車場も整備され何時もながら地元の方々の日々の心使いに感謝して利用させて
頂くが今でも続くその信仰の力につくづく感心してしまうのは都会モンの浅はかさだろうか??
駐車場からは浅い渓流沿いに蔦巣峠まで上り右に曲がれば(左に行けば神座山経由釈迦ヶ岳)片道1時間で大栃山の頂上に着く。
大栃山は甲府盆地に南から突き出した半島の先っ穂という感じで晴れていればこの時期ピンクに染まる甲府盆地が一望出来たはず
なのだが・・・・残念!!
下山後、桃源郷公園に寄る頃には急速に天候も回復し桃と菜の花のお花畑を満喫出来きた。(写真はチョット・・・桃娘とは言いがたいのですが)
これがきっかけでその後毎年4月の中旬、甲府盆地がピンクに染まるのを見に行くようになった。
【追伸】桃祭りで頂いたバラの苗が今でも山小屋で綺麗な花を付けています。
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| 2000年4月6日(木) |
| 大楠山 標高:242m (神奈川県の山) |
 【山頂にて】 |
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【レーダー雨量観測所の菜の花畑にて】 |

【塚山公園にて】
横須賀港と町が一望できる。 |
・会社の代休の平日の一日、家内からゴロゴロしているなら軽く歩きに行こうと誘われたのが大楠山だった。
久しぶりに車を使わず電車とバスを使い三浦半島まで足を延ばす羽目になってしまった。
実は私は三浦三崎の出身なのでこの辺は地理的には馴染みのあの土地柄でもあり、大楠山は確か小学校にあがる前に父に連れられて行った
記憶があるのだが、たしかあの頃はみかん畑しかなかったように記憶していのたが・・・・開発の波にほとんど変わってしまっていたのに驚いた。
コースは京急の安針塚駅で下車し住宅街を抜け、三浦安針墓のある公園から東京湾を眺め、横横道路のガード下を抜ける前半のコースと
小さな渓谷(チョット驚き)とお花畑から相模湾を見下ろす後半のコースになっている。
最後は又住宅街を抜けて海岸線の国道134号まで出ると前田のバス停があり、そこから逗子駅までバスで行き電車で帰宅した。
歩いた時間は3時間位だが久しぶりに潮の香りを感じながらのハイキングとなったし、もう少し下調べをして行けば海の幸にもあり付けたかも
しれないコースだったのが少々残念でもある。
全般的には道案内はあるとは言え結構迷いやすいかもしれないコースでもある。(私は中高年のおば様のように住民に聞けないので・・・)
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| 2000年4月1日(土) |
| 百蔵山 標高:1003m (山梨県の山) |

【山頂にて】 |
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【山頂広場での休息】
山頂広場は広く、南面が開け展望良し! |

【梅満開】
百蔵山をバックに陽だまりハイク |
・ひょんな事から友人がデシカメを買い換えると言うことで中古のカメラを手に入れることになった。
今までのフィルム型に比べ薄く現像の手間も無くなり撮り貯めていたので、ここからWeb山日記のスタートしてしてみることにした。
・百蔵山は中央道の大月手前右側(下り方面)に扇山、百蔵山、岩殿山と続き以前より気になっていた山のひとつで富士山の展望でも有名な
山である。
当日は天候にも恵まれ美しい富士山と下山時の農家の軒先の満開の梅林に心なごむ山歩きが堪能出来きた。
・行程的には上り約1時間山頂での休息を含め往復2時間の手頃なハイキング・コースであった。 |
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